共産主義者の表象
─青木雄二
 
「私はこう問いたい。あなたたちは、なぜ神が存在するなどと、まがりなりにも知識人のくせに、信じたのか、と。また、さらに、こうも問いたい。あなたたちが最初に抱いていた信念とその後の幻滅とがこれほどまでに重要なものだと想像する権利を、いったい誰があなたたちに与えたのか、と」。
エドワード・W・サイード『知識人の表象』
 
 現代日本において、教条的な共産主義者であることは何を表象するのかという疑問が、青木雄二の著作を読むとき、われわれに浮かばざるを得ない。二〇〇三年九月五日肺ガンのため亡くなった青木雄二は、日本共産党の幹部を除けば、マス・メディアを通じて、共産主義者を最も公言していると言っていいだろう。それも共産主義の新たな可能性を説く、あるいは共産主義を読みなおすポスト・マルクス主義者ではなく、テリー・イーグルトン同様、教条的にマルクス=レーニン主義を語る古典的な共産主義者のタイプに属している。あまりにマルクス=レーニン主義的テーゼ、すなわちレーニンの『カール・マルクス』の中の「マルクス主義理論は全能である。なぜならそれは真理だからだ」というテーゼすら認めることもやぶさかではないようにも見受けられる。その意味で、青木雄二について遅れてきたプロレタリア文学という印象すらある。漫画家で教条的なマルクス=レーニン主義者と言うと、われわれはメキシコの漫画家リウスを思い起こす。リウスも『マルクス』や『チェ・ゲバラ』といった漫画の入門書を描いているが、青木雄二は、確かに、その快活な精神において、ラテン・アメリカの共産主義者のようだ。青木雄二が共産主義者を表明することはいささか意外でもある。教育歴・職業歴によって社会的成功、あるいは組織内部での昇進を閉ざされたものは、多くの場合、その怨恨のために、シニカルになるか、組合を含めた左翼を憎み、通俗的どころか、反動的になってしまう。ところが、青木雄二は、むしろ、戦闘的に、教条的な共産主義に基づいて、資本主義批判を口にする。グローバルな視点を自認している海外の雑誌は、それを実証するためにも、日本からの投稿を欲しがっている。しかし、送られてくる原稿は、英語こそ巧みであっても、レベルが低くて、載せることができない。オリジナリティーに欠け、たんなる日本擁護、あるいはリアル・ポリティクス、新自由主義、さもなければケインズ主義の教科書のコピーかと思ってしまうような内容が書かれてあるだけなのだ。むしろ、たとえ日本語だけであても、憲法九条絶対主義や共産主義社会の到来による人類の幸福を説く大胆な原稿の方が、幅広いグローバルな視点という意味では、歓迎されるのだが、多くの日本人にはそれができない。青木雄二は、例外的に、それをやっている。九七年にマンガ家を引退してからも、次々に出版する著作も好評で、講演依頼もあとをたたないけれども、そこでも、恐ろしいまでの迫力で、教条的な共産主義思想を説いている。「沈黙のなかにおいてはわからないよ、続けなくちゃいけない、続けよう」(サミュエル・ベケット『名づけえぬもの』)。マルクスの時代的限界は青木雄二にはなく、共産主義の古典的な理解の強さを彼は告げる。
青木雄二のマルクス主義の読解には、古典的ながら、譬えるなら、独自性が感じられる。非常に簡単で、読みやすい青木雄二の共産主義の解説には、ポスト・マルクス主義者が読解するマルクス主義に比べると地味であるのに、このような生き生きとした魅力がある。それは、ジョニーとハリケーンズが『レッド・リヴァー・ヴァリー』を完璧なロックンロール・ナンバー『レッド・リヴァー・ロック』にしあげたことに似ている。これまで、保守反動的暴言、まがまがしい神秘主義的予言、偽善的な宗教的お説教、知的スノビズムを刺激する内容の本がベストセラーになってきた中、東西冷戦崩壊後、もはや終わったと捨てられた共産主義を、いわゆる「知識人」にならともかく、一般読者に興味を持たせることは極めて難しい。本をいつもはあまり読まない人たちが買う本がベストセラーになるのであって、本好きは、むしろ、ベストセラーを避けるとしても、この現象はやはり特異だ。「批判の武器は、もちろん武器の批判の代用にはなれない。物質的な力は、物質的な力で倒すほかはない。とはいえ、理論も、それが民衆をつかめば、たちまち物質的な力になる。理論が民衆をつかむことができるのは、それが人に訴えるように論証をおこなうときであり、理論が人に訴えるように論証できるのは、それがラジカルになるときである。ラジカルであるというのは、物事を根本からつかむということである」(マルクス『ヘーゲル法哲学批判序説』)。
 マルクス主義は、これまで、何度も時代遅れの思想と見なされてきた。レーニンのころにも、ロシアの革命家たちの中に、マルクス主義の唯物論的側面−−エンゲルス流の物質一元論−−をマッハ主義に基づいて、記号論的・システム論的に再構築しようという試みが唱えられた。その代表のアレクサンドル・ボクダーノフは、『経験一元論』において、「経験一元論が可能なのは、ただ認識が経験の無数の矛盾をとりのぞき、経験のために普遍的な組織化する形式をつくりだし、一次的な混沌とした要素の世界を(推論によって)導きだされ、秩序だてられた諸関係の世界ととりかえることによって、経験を能動的に調和させられるからである」という改革を説いている。人間の世界は組織化された経験の複雑な重なりによって構成されており、これをより一貫した一元論と集団主義に向けて、高度に組織化していくことこそプロレタリア革命というわけだ。レーニンは、逆に、唯物論の古さにこだわった。もっとも、DNAやプリオンがまだ発見される前に、エンゲルスは、『反デューリング論』において、「生命とはタンパク質の存在形態である」と言っているように、何が古く何が新しいかなど未来にならなければ誰にもわからないものだ。マルクス主義は、記号論的に解釈され得る部分があるとしても、記号論ではない。記号論はテクノクラート論と密接な関係にある。社会主義理論が、ときとして、テクノクラート論へと移行してしまうのは、記号論を採用してしまうからである。記号論は組織化の理論であり、カント哲学の読みかえとして登場した。ただ記号論的な実証科学ではカントの「物自体」について考える必要もないが、カントの「批判」とマルクスの「批判」は、後者は前者を前提にしているものの、あくまで違うことは認知しなければならない。不可能の証明に基づくカントの批判はアイロニーであり、「決死の飛躍(salto mortale )」を秘めたマルクスの批判はガルゲンフモール(der
Galgenhumor )である。「イギリスでは自分のことを笑えることが大変重要で、逆に自分のことを笑えない奴は野暮という雰囲気がある。英語でself-deprecating(セルフ・デプレケイティング)という、ぼくはそんな感覚を日本語で表現する時は"自嘲的ユーモア"と言っているが、この"嘲る"という感じが持つニュアンスがよくないとの指摘を受けたことがある。たしかにdeprecateという単語は、他人に対してなら日本語と同じ意味になるが、対象が自分自身となるとむしろ肯定的な印象を与える」(ピーター・バラカン『ぼくが愛するロック名盤240』)。
Flew
in from 
Didn't
get to bed last night
On
the way the paper bag was on my knee 
Man I
had a dreadful flight 
I'm
back in the U. S. S. R.
You
don't know how you are lucky boy
Back
in the 
Been
away so long I hardly know the place 
Gee
it's good to be back home
Leave
it till tomorrow to unpack my case
Honey
disconnect the phone
I'm
back in the U. S. S. R.
You
don't know how you are lucky boy
Back
in the 
Well
the 
They
leave the West behind
And 
That 
I'm
back in the U. S. S. R.
You
don't know how you are lucky boys 
Back
in the 
Show
me round your snow peaked mountains way down south 
Take
me to your daddy's farm 
Let
me hear your balalaika's ringing out
Come
and keep your comrade warm.
I'm
back in the U. S. S. R.
You
don't know how you are lucky boys 
Back
in the 
(The Beatles “Back in the U. S. S. R.")
 世俗的であり、なおかつジャーナリスティックである青木雄二の著書はマルクスやエンゲルス、レーニンだけでなく、ドストエフスキー、シェークスピア、ヘラクレイトスといった思想家に言及しながら、大きく二つのパートにわかれている。一つは具体的な金融トラブルの事例を、自分の体験をまじえつつ、解説し、現代社会で逞しく生きていく方法を指南する部分−−『唯物論』には、阪神タイガース改造計画まで立てられている−−、もう一つは、「自民党」に牛耳られている現代日本を批判して、彼の共産主義を主張する部分である。青木雄二は「自民党」を嫌っている。「僕が“自民党”というのは、企業と結託してヒルのように私腹を肥やす政治家という意味で、日本共産党以外のすべての政党のことだ。どういう名前をつけようと、結局はみんな“資本主義党”なのである」(『ゼニの人間学』)。青木雄二は、『ゼニと資本論』の中で、ある銀行や証券会社に対する損害賠償請求訴訟の例を紹介し、被害者の会の訴えを共産党以外の政党は相手にせず、マスコミもとりあげなかったと批判している。「いったん、現実の世界から『秘密そのもの』というカテゴリーを作り出すと、こんどは、このカテゴリーから現実の世界が生まれるようになる」(マルクス=エンゲルス『聖家族』)。青木雄二によれば、日本では、不景気になるとありえないような儲け話を餌にした詐欺が増えるように、従来は「自民党」が支持されたという。一九八九年、自民党国会対策委員長だった故奥田敬和も、「連日、社会党を持ち上げる新聞記事ばかりですね」と言う自民党職員に対して、「自民党は悪口を言われて当然だ。オレは、自民党を応援するような新聞記者は信用せんよ」と答えている。奥田は新聞記者出身だった。体系性はないが、二つの要素は関連しており、厳密に分離することはできないけれども、ただ読者に自分の成功談あるいは失敗談、哲学的信条をおしつけてはいない。現在の青木雄二の生活は、TBSの『報道特集』を見るかぎり、アレッサンドロ・ムッソリーニのそれとほぼ同じらしい。アレッサンドロ・ムッソリーニは、熱狂的な社会主義者で、仲間を呼んでは、酒を飲み、「ブルジョアの社会や正義などというものは偽善で、今に必ず滅びるのだ」と講釈していた。アレッサンドロは生まれてきた息子に、メキシコの社会主義者ベニト・ファレス、イタリアの社会主義者アミルカーレ・チプリアーニとアンドレア・コスタにちなんで、ベニト・アミルカーレ・アンドレアと名づけている。マンガ家卒業以降の青木雄二の現在の個人的・日常的事情は綺麗事ばかり並べる説教屋とは違うと思わせてくれても、彼の主張の力を弱めさせることはない。自分自身の偏りや限界、嗜好をさらけだしつつ、唯物論的な議論を展開することによって、読者は彼の主張を自分の問題として考えるとっかかりになり、救済を口にする独善的な預言者に依存する観念論的構図を避けることができる。もっとも、どの本を読んでも、彼の結論はほぼ同じである。
 日本では自認する知識人は少ないが、青木雄二は「教条主義者」と批判されても、何の反論もしないだろう。保守主義や修正主義、改良主義、日和見主義がはばをきかせている現代日本で思考する場合、教条主義者でなければならない。教条的であることと頭が柔軟であることは背反しないのだ。教条は盲信や硬直と区別されるべきである。
 森毅は、『文化の変容』において、思想家の名前は「ブランドの名称程度」に考えたほうが文化の変容につながると次のように述べている。
「デカルト幾何学」とか、「ニュートン力学」とかいっても、デカルトやニュートンのままではない。デカルトの『幾何学』やニュートンの『プリンキピア』が史料として読まれることはあっても、たいていはそれと無関係に、その変容した姿が現代に生きている。デカルトとかニュートンとかいうのは、せいぜいがブランドの名称程度のもので原典をそれほど尊重しない。
 論文などに他人の定理が引用されるときでも、たいてい著者の文脈に翻案されて、ときには原論文とは重点が移動していたりする。ここで、だれそれの定理という、そのだれそれはブランド名称のごときものだ。
「マルクス主義」がマルクスと違っても、「キリスト教」がキリストと遠くとも、それはマルクスなりキリストというブランドであってもかまうまい、そんな思いがぼくにはある。別に教祖様に義理だてする必要はなかろう。
 しかし、これは教祖様の人格を離れて、宗教やイデオロギーといった文化現象を考える、ぼくの無宗教性ないしは没イデオロギー性なのかもしれない。そうした文化現象を、教祖様の人格と不可分のものと考える人もあるらしい。
 ここいらは、文化と作者との関係で議論になるところだが、文化に著作権が付随するのは必要悪のようなもので、本来なら、文化は無署名で変容可能なものであってよいと、ぼくは、考えている。そうした変容のなかで生き続けていくのが文化的価値であって、著作権の保護は別の価値に属する。この点で、文化的価値と世俗的価値が混同されているような気がする。ぼくのような考えは、原作者の人格を無視しているのだろうか。ぼくとしては、どうせ文化の文脈では、祖先を食いつぶして血肉化していくものだから、それが原作のまま保持されることより、変容により生き続けていくことによって、かえって祖先を大事にしていることになると考えたい。墓を永遠に維持するのは不可能なことで、祖先を食いつぶして子孫は生きていくものだ。
 そして、原作の姿は変わっても、それが文化現象として生き続けるなら、それが現作者の人格を尊重したことにならないか。作者の意図をこえて、作品が変容していくだけの生命を持っているのだから。
 ある思想について「思う」こととその思想が「在る」こととは違う。思想が「在る」ことは「文化現象」として「生き続け」ていることだ。教条主義者は思想を観念としてではなく、物質として扱う。物質である以上、思想は自分自身によっては思うようにならない。「哲学的唯物論がその承認と結びついている物質の唯一の性質は、客観的実在であるという性質、すなわちわれわれの意識の外に存在するという性質である」(レーニン『唯物論と経験批判論』)。教条主義者にとって思想はある思想家に対して蓄積・変容を重ねてきた学説の要約的解説、すなわち「ブランド名称」である。教条主義者は「真のマルクス」や「偽のマルクス」といった言い方をしないが、それは真を偽から区別できないからではない。真偽を「思う」ことよりもマルクスが「文化現象」として社会や歴史の中で生き続けることのほうが大切だからだ。「弁証法的唯物論」というタームもマルクスの文通相手だったヨーゼフ・ディーツゲンがつくりたしたのであって、マルクスは「弁証法的方法」、エンゲルスは「唯物論的弁証法」というタームを使っていた。固有名詞は流通しやすいが、それが教条的になるとき、最も威力を発揮する。マルクスをレーニンやエンゲルスから区別し、純化する態度は、一つの物象化の危険性を秘めている。教条的読解は作品を力として読むことを意味する。教条主義者は教条的読解以外を認めないわけではない。ただ教条主義者は所有よりも流通を尊重するから、教条主義は解釈ではなく、むしろ、解説である。そんな教条主義を避けたがるのは、教条的になると逃げ道を失い、よりいっそうの困難に自己を直面させてしまうからだ。教条主義者以外は、「思う」ことを優先させるために、アイロニーに基づいて教条主義を斥ける読解を選ぶ。けれども、この追いつめられた状況こそ望ましい。つまり、教条的読解はユーモア、それも「絞首台のユーモア(gallows
humor )」である。「余の髭に気をつけてくれ。首切り役人。余は首を切られることになっておるが、髭を切られることにはなっておらん」(トマス・モア卿)。
 青木雄二が、一九九〇年に、『モーニング』誌において『ナニワ金融道』で本格的にデビューしたとき、今の姿を想像できたものは誰もいなかったことだろう。職を三十回以上も変えて、デビューした四十代の男に関して、新たな暴露屋の登場かとも思われたが、すぐにそういった見方が誤解だということに気がついた。と言うのも、暴露屋にありがちなシニシズム、もしくはペシミズムがなかったからである。
 青木雄二は、『ゼニの人間学』の「まえがき」において、全十九巻で一千万部以上も売れている『ナニワ金融道』執筆の動機について次のように書いている。
 僕が『ナニワ金融道』を描く気になったのは、“サラ金地獄”が話題になっていたからではない。
 大きな理由はふたつある。
 ひとつは、ドストエフスキーの小説『罪と罰』への感動。そう、大学生くずれの主人公ラスコーリニコフが、因業な金貸しのばあさんを殺害するあの大長編だ。人間がつくり出したドラマの最高峰と言ってもよいだろう。最高の人間学だ。
 おこがましいかもしれないが、僕は少しでもドストエフスキーに近づき、ほんの半歩でも超えてみたい気がする。
 もうひとつは、マルクスの『資本論』との出会いである。
いまではほとんど読む人がいないだろうが、マルクスが執念をかけて書き上げた『資本論』には、人間社会の歴史と真実とが、的確な筆で描きつくされている。こまかい話はあとまわしにして、結論だけを言うと、つまり、現代は、ゼニの世の中だということや。僕は、マルクスからそのことを学んだ。
 僕たち現代人は、自分たちの知らないあいだに、ゼニを基盤とする巨大で不可解なシステムに縛りつけられてしまっている。
 『罪と罰』や『資本論』は、白土三平も唯物史観に基づいて『カムイ伝』を描いているし、手塚治虫も『罪と罰』に魅せられ、かなり実験的手法を駆使して、マンガ化を試みている通り、大いに創作意欲を刺激する作品ではある。けれども、あの猥雑さはドストエフスキー的なカーニバルだと言えなくないにしても、『ナニワ金融道』が『罪と罰』や『資本論』に影響された作品とは思えないだろう。
 『ナニワ金融道』を読んで、まず最初に、目についたのは、見たことがないまでの絵の下手さだった。ヘタウマというのとは違う。デザイン会社を経営していた時期もあるはずなのだが、背景は皮肉をちりばめ、細かく描写されているものの、マンガの絵としては、ほんとうに下手なのだ。ところが、話が信じられないほどおもしろい。考えられないほどのアンバランスなマンガ家が登場したとわれわれにはいささか衝撃を受けた。
 夏目房之介は、『マンガはなぜ面白いのか』において、マンガ家としての青木雄二について次のように述べている。
 たとえば香港やアメリカなどでは絶対に出てこないマンガ家というのがいる。『ナニワ金融道』の青木雄二とか、あんなに下手な絵なのに面白くて、大ヒットしちゃう。まずありえないでしょうね。あの絵だと欧米ではデビューできないと思う。日本でもよくできたと思うくらいですから。だけど歴然と面白い。それが日本のマンガのおもしろいところです。
 青木雄二は、日本マンガ史上、最も「下手な絵」を描くマンガ家である。しかし、日本のマンガの最もユニークでラディカルな位置にあるその「下手な絵」が、今にして思えば、青木雄二の階級闘争的存在を告げていたのである。青木雄二は、著作の中で、一貫として「ゼニ」という言葉を使っている。注意すべきなのは青木雄二がカネでも、貨幣でもなく、「ゼニ」を用いている点である。これは哲学用語に対する日常言語、あるいは書き言葉に対する話し言葉、標準語に対する方言、上品に対する下品の優位を意味しない。これは、ルイ=フェルディナン・セリーヌやアルフレッド・ジャリの作品のように、言語における階級闘争である。彼の作品には、「ゼニ」だけでなく、イラスト、マンガ、書き言葉、話し言葉、標準語、関西方言、上品さ、下品さといった要素が入りこみ、その階級闘争が作品の力となっている。「普通にマンガで育った人間には、まず絶対あんな絵は描けない。畳の目が全部描きこんであるので、背景の畳が立ち上がっているようにみえる。それは、バリの、密林を描く伝統細密画のようだった。棒のように立ち尽くす人物。ウンコ座りで陰毛をひろうソープ嬢。克明に手書き一語一句まで再現される契約書。そこに作者の『描く』という異様なテンションが感じられ、それが本人の意図以上にユーモアとして機能した。作者が本気で入れ込めば入れ込むほど、それはユーモアになり、どんな悲惨な話も『面白く』読めてしまう効果になった。それにしても、一体どうしてあんな絵が描けたのか。30年前の中篇を持っているが、絵はほとんど変わっていない。壁も空も同じように線を入れてしまう独特のテンションは、一体どこからきたんだろう?97年に刊行された短編集『さすらい』を見たとき、『あっ!』と思った。そこには青木さんの描いた油絵がのっていた。青木さんは、この油絵と同じように、コテコテとペンで線を『塗って』いたのだ!僕らには当たり前になったマンガの基本文法をまったく無視し、だから読みにくいはずなのに、それ以上に引き込む力がある。『読みにくさ』が面白さになってしまう独特な味。やっぱり、青木さんはオリジナルだ」(夏目房乃介『独特の力みなぎる画風 青木雄二さんを悼む』)。
 青木雄二がゼニこそすべてだと言うとき、拝金主義者や守銭奴を意味しない。それらは観念論的思考である。青木雄二は「ゼニ」によってすべてが相対化させられると主張している。「貨幣は、人間のいっさいの神を貶めて−−それを、商品に代える」(マルクス『ユダヤ人問題によせて』)。ゼニという言葉を濫用するわりには、青木雄二は「世の中、結局、ゼニがすべてなんや」と思っているようには見えない。青木雄二は、『ゼニの人間学』の中で、『罪と罰』の読解を提示しているが、ドストエフスキーの数ある作品の中で、何よりも、『罪と罰』を選んだというのも、「ゼニ」がないということが貧困といった経済的苦痛ではなく、卑屈さといった心理的苦悩をもたらすということをそれが描いているからである。青木雄二には、と言うよりも、「ゼニ」をめぐる心理的な問題のほうが大きいように思える。青木雄二を共産主義者とするのはこうした「ゼニ」への意識である。逆に、その意識が欠如していたがゆえに、共産主義から転向していった元左翼は多い。マス・メディアに無節操なまでに露出している経済評論家や政治家、経営者を例にするまでもなく、転向の秘密は「ゼニ」にある。「不安に満たされ、困窮にとらえられているような人間は、どんなに美しい演劇にたいしても無感覚なのである」(マルクス『経済学・哲学草稿』)。「ゼニ」が経済的な貧困のみならず、劣等感や優越感を抱かせる心理的貧困を招くという点を考慮してこそ、共産主義者なのである。「貧乏な人間というのはですね、気むずかしいんです。貧乏人は世間というものの見方も違うし、通行人一人一人をこっそり横目で睨み、おどおどした目であたりを見回し、あそこで話題になっているのは自分のことじゃないかとばかりに、誰の言葉にも聞き耳を立てているんです」(ドストエフスキー『貧しき人々』)。
 こういう観点から「ゼニ」に着目しなければ、元左翼ダニエル・ベルのように、青木雄二も「イデオロギーの終焉」を唱えただろう。「底辺の人間というのは、必死に生きている。みんな、自分のポジションで、一生懸命頭をひねって、なんとかちょっとでもゼニを儲けようとしているのだ。人間は、ゼニというニンジンを目の前にぶら下げられたら、一生懸命走り出す。マルチ商法もしかりである。そう考えたら、人間といううさん臭い生き物も、なんか、いとおしく感じられてくる。よけいに、人間が好きになれる気がする」(『ゼニの人間学』)ということも言わず、体制に順応していったに違いない。ニューヨークのスラム出身であるダニエル・ベルは、『イデオロギーの終焉』において、イデオロギーが現実政治を動かす時代は終わり、このイデオロギーの終焉の下、予測と計画を担うテクノクラートを中心とした市民政治の時代に入ったと説いた。そして、『脱工業化社会の到来』では、第三次産業が肥大化し、管理層がリーダーシップを掌握した結果、情報を資源とした「脱工業化社会」が到来すると予測している。この「イデオロギーの終焉」は「歴史の終わり」へと引き継がれ、さらに「新世界秩序」、「文明の衝突」という保守派の系譜を形成している。それらをタイトルに冠したいずれの本もベストセラーになっているように、観念論者は大言壮語な物語が大好きである。こうしたテクノクラシー論は保守派ではなく、社会主義に近い思想家から誕生している。現代の労務管理思想はフレデリック・テーラーの『科学的管理法』に由来する。テーラーは、非難されるために、言及されることが多い。一八五六年にフィラデルフィアの資産家の息子として生まれながら、たたきあげの技師の道を選んだテーラーは労働者を集団から分離し、抽象的な目標に向かって競争させた。また、工場内秩序の民主化=均質化を行った。計画室に権限・情報を集中し、すべての仕事の手順を分解して最適化をはかり、簡単にした。ここでテーラー主義は外延的蓄積体制に代わって登場した内包的蓄積体制のフォード主義と結びついてしまう。この産業主義は学校教育にまで影響を与えていると批判するものもいる。アメリカのマルクス主義経済学者サミュエル・ボールズは、H・ギンタスと共同で、一九七六年に『資本主義国アメリカでの学校教育』を発表している。彼らは「対応命題」−−資本主義経済における学校組織ならびに報償制度は。工場の組織と報償制度に対応する、もしくは事実上の複写であるという意見−−に同意した上で、アメリカの教育史全体が学校への産業界からの圧力に応じた結果であると解釈し、有効な教育改革が唯一可能な状況は、自主管理的な社会主義体制であると論じている。一九〇〇年前後に、石工の息子で、フランスの師範学校の教師だったアルベール・ティエリーは労働者に「出世の拒否」を呼びかけた。「出世を拒否すること、このことは行動することを拒否することでもなければ、生きることを拒否することでもない。それは、自分のために、そして自分の目的のためにいき、行動することを拒否することなのだ」。これは学校=産業に基づく支配的文化からの積極的なドロップアウトによる変革を意味した。青木雄二のマンガ家引退は、そう考えると、マンガのテクノクラートになることの拒否、「出世の拒否」なのだ。
 テーラー主義はベルギーのアンリ・ド・マンによってヨーロッパに紹介された。ド・マンはテーラーをそのまま使ったのではない。彼はテーラーの「時間測定」を批判し、ヴェブレンに基づきつつ、労働者心理を中心的に考察する。「労働者の仕事の能率の問題は、基本的に心理学的な問題である」(『テーラー主義の国において』)。さらに進んで、ド・マンはマルクス主義批判を展開する。ド・マンは、『マルクス主義を超えて』の中で、労働者意識への考察を欠いたマルクス主義は、社会主義運動、労働運動を経済的利害闘争へ歪曲し、改良主義と労働者のブルジョア化をもたらしており、同時に、知識人への視点を欠落させたマルクス主義は複雑化した資本制国家変革の方向性を見失っていると批判した。ド・マンは「計画主義」を提唱し、第二次世界大戦後の本流的思想の源流を用意した重要なイデオローグである。アンリ・ド・マンは今ではポール・ド・マンの叔父ということで知られているが、当時のヨーロッパでは、結構、名の通った思想家だった。ベニト・ムッソリーニは、ド・マンの『マルクス主義を超えて』を読み、ド・マンに書簡を送っている。ムッソリーニは、その中で、「あなたのマルクス主義批判はドイツやイタリアの修正主義者たちの批判よりずっと正当なものだ」と評価しつつ、ド・マンのファシズム運動への批判に反論した。とは言うものの、両者の間はそれほど遠くない。チャールズ・S・メイヤーは、『テーラー主義とテクノクラシーの間で』において、ファシスト・イデオロギーも、テーラー主義も、一九二〇年代の支配的潮流である「非ゼロ=サム」的世界を約束したと主張している。「かつては理性の適切な表現であったものが、こんにちではただ理性からの逃避にすぎない。かつては肉体であったものが、こんにちでは遺骨となっている」(マルクス『パリ「レ・フォルム」紙のフランスの状態論』)。
 このテーラー主義の形成される中、テクノクラシー論が出現する。「テクノクラシー」というタームの登場は、一九一九年にウィリアム・H・スミスが発表した論文『テクノクラシー、国家的産業経営』に遡るが、一般化するのは、一九三二年、諷刺的文体を使い、社会主義に近い技術者支配論者ソースタイン・ヴェブレンの影響を受けたハワード・スコットがテクノクラシー運動を始めてからである。その後、テクノクラシー論は、バーリ=ミーンズの経営と所有の分離論を経て、一九四一年、ジェームズ・バーナムの『経営者革命』へとつながっていく。バーナムの「経営者」には「生産管理者」・「管理エンジニア」・「監督技術者」が含まれ、彼らが国家の管理を通じて生産手段を管理する。テクノクラシー論は戦中期に盛りあがり、バーナムの第二次世界大戦の結果は経営者社会の勝利だという突飛な意見は無視するとしても、戦後もそのまま続き、ダニエル・ベルの現代的テクノクラシー論にたどりつく。こうした保守主義は、結局、スターリンの「一国社会主義」と同じであるが、こういった議論の場合、「近代化」がキーになっている。ロシア革命を含めて、いわゆるプロレタリア革命は近代化の問題に直面したときに、本質を変容してしまう。「近代化」という概念が一般化するのは第二次世界大戦後である。ヨーロッパでは、十九世紀から「modernize 」という言葉は使われていたものの、当時の用法は古典の文章を「当世風にする」といった程度のものであった。近代化に対する積極的な意味づけは東西冷戦構造の中で生まれた。近代化は産業化というイデオロギーであるが、たんなる工業化を意味せず、社会・文化領域の変容も含み、それは社会構成員の移動の活発化や情報・知識の流通化、所属価値から業績価値への転換、脱宗教化という特徴がある。イデオロギーの終焉を受けて、一九六〇年に、W・W・ロストゥは、『経済成長の諸段階』において、先進・後進を問わず、暴力革命によらずに、いずれの国家も産業革命を経験した後経済の「離陸」を経て、持続的成長を遂げて現代工業濃く、すなわち産業社会に移行するという歴史観を展開した。これは経済援助による第三世界の近代化の名の下に、低開発地域から富を収奪し、フォード主義に代表されるアメリカ的思考・生活様式を輸出するというアメリカの世界戦略を正当化したイデオロギーである。「ブルジョア文化のふかい偽善と生まれながらの野蛮性は、ブルジョア文化の本国では立派なさまざまの装いでかくされているけれども、植民地へ行けば、そこでは、なんの粉飾もなく、あからさまにそれらが、われわれの目目の前にさらけ出される」(マルクス『インドにおけるイギリス支配の将来』)。従属理論派に言わせれば、世界経済の連関構造を無視し、一国の自生的側面からのみ経済成長を把握した偏見にすぎない。日本の「自民党」政権も国内の貧しき人々を犠牲にしているだけでなく、海外の貧困層の増大を前提にしている。「地域的安定」の名の下に多額の援助を与え、均衡成長と称して、軍事政権や一部の特権階級の支配を正当化さえしてきたのだ。「この世も、この世の法も、君の味方じゃないのだ。この世は、君を金持ちなする法を与えはしない」(シェークスピア『ロミオとジュリエット』)。古い問題を新しい意外な角度から見つめる「側面思考」で知られるアルバート・O・ハーシュマンは、『経済発展の戦略』において、経済成長は、概して、不均衡であり、開発計画は、ほかの産業との前後の「連関」が緊密な基幹産業に努力を集中させる場合にのみ効果があると主張した。「後方連関」は、ある産業が使う投入、すなわち原料・機械類・半製品の生産者とその産業とをつなぐ投入を示し、「前方連関」は、ある産業が最終的な消費者ではなく、ほかの産業に販売した産出物を意味する。ハーシュマンの用語に従えば、皮を加工する産業は基幹産業であり、靴をつくる産業はそうではない。ハーシュマンは第三世界の諸国が「均衡成長」という慎重に管理された過程で発展しなければならないという当時の常識を斥け、第三世界の現実の成長敬虔と関連した学問である開発経済学と成長モデルの抽象的な特色に関連した主題である成長理論を分離した。資本主義社会では、金持ちがまずより豊かになって、貧乏人はそのおこぼれに預かればいいというわけである。そもそも、ダニエル・ベルの言う通り、情報産業への転換があったとしても、工業生産は増加し、いわゆる「合理化」も促進していく以上、産業社会的な価値観・社会関係の変革に直結するわけではない。
 社会や歴史を考察するときには、支配者側に立つのではなく、もっと世俗的でなければならない。「よくよく思いめぐらせば、皇帝なぞは要らぬもの」(ハインリヒ・ハイネ『ドイツ冬物語』第十六章)。西洋の精神史において、初めて、階級闘争による段階的な歴史的・社会的成長を展開したジャン・バティスタ・ヴィーコは、『諸民族の共通性についての新しい学問の原理』の中で、世俗の世界は神によって定められたものではなく、それ自身の法則に基づいた歴史的なものであるから、その起源から発生した社会だと理解しなければならないと書いた。歴史を理解するには、世俗的である必要がある。世俗的であることは大衆的であることを意味しない。ホセ・オルテガ・イ・ガゼットは、『大衆の叛逆』において、大衆とは「自らを評価しようとせず、みんな同じだと感ずることに安心する人々」と規定している。典型的大衆は、その意味で、専門領域に閉じこもっる閉鎖的なテクノクラートである。彼らは「学識ある無知」(ニコラウス・クザーヌス)にすぎない。従って、「大衆の叛逆」、すなわちファシズムはテクノクラート体制である。
 世俗的であることは唯物論的姿勢をとることである。青木雄二は、『ゼニと資本論』において、「人間にとって“ギリギリ最後の問題”とはなんだろうか? それは唯物論か、観念論かという問題である」し、「僕は、共産主義支持者である前に唯物論者だ」と言っている。青木雄二にとって、観念論の典型はデカルトの「コギト・エルゴ・スム」の命題である。マルクスは、『資本論』において、機械を原動力装置、変換・伝達装置、狭義の機械(道具)の三つに分類している。デカルトの機械論は、主体と延長=道具(機械)によって成り立っている。マルクスの機械論から見れば、デカルトの機械論は機械の一部分を指摘しているにすぎず、主体は機械のほんの一部を操作しているだけだということになる。デカルトが労働の「古典派」であるとすると、『雇用・利子および貨幣の一般理論』のケインズにならえば、マルクスは労働の「一般理論」を提起したことになる。先の保守主義者もデカルト的な図式に依拠していることは明らかであろう。労働は賃金を得るための道具という発想はデカルト的である。労働は苦痛、アダム・スミスに言わせればtoil and troubleである。自発的なworkに対して、人に雇われ、命令されるlabourという定式化が労働のプラス効用としての賃金とマイナス効用としての苦痛という二分法を設定する。働かなくてすむのなら、できるだけ働かないほうがいいに決まっているというわけだ。「労働が快楽でありゃ−−生活は上々だ! 労働が義務となると、生活は奴隷のそれよ!」(マクシム・ゴーリキー『どん底』)。従って、労働は搾取からの解放と遊戯への回帰でなければならないのである。
 観念論は支配の構造を提供し、資本主義はそれを強化する。青木雄二は、R・ミリバントと同様、資本主義社会の国家を「エスタブリッシュメントの連中」の支配の道具と見ている。観念論が資本主義体制を必要とするのは、資本主義が人の劣等感・優越感を刺激して商品を売るからである。さらに、資本主義社会は経済的のみならず、文化的にも、貧富の差を固定し、再生産する。青木雄二は、『ゼニと資本論』の中で、東京大学の入学者の親の収入が、ほかの大学に比べて、高い例を紹介し、資本主義社会では経済的再生産と文化的再生産が密接な関係にあると批判している。ピエール・ブルデューが『実践感覚』で指摘している通り、「文化資本」の獲得には、自由に使うことのできる時間や金銭といった経済資本が不可欠であるから、その余裕が大きい家庭の子ほど、幼児から文化資本の蓄積が有利に行われる。文化資本の獲得・蓄積・継承は、経済資本のように統制されることはないが、物質的・象徴的利益を手にいれる可能性は大きくなる。経済的・社会的利益に変換される文化資本は、文化的再生産と社会的再生産の関係を、社会の統制化の下での文化における公認・正統の装置と関連させて、考察するための概念である。それには身体化された様態−−日常的な立ち居振る舞い・生活様式−−、客体化された様態−−映画・書籍・絵画・CD・写真・ビデオ・コンピューター−−、制度化された様態−−学歴・資格−−が含まれる。社会のハイアラーキーの上に位置する層は、資本主義のこの経済的・文化的悪循環を利用して、ままます肥大する。「僕が許せないのは、自分たちだけが甘い汁を吸っている、社会の上層部の人間なのである」(『ゼニの人間学』)。
 だから、『ナニワ資本論』で、三十種以上の職業を経た中、公務員が最も楽だったと述懐している青木雄二は、生産手段の国有化や公有化に同意しない。共産主義は産業の国有化や公有化を意味しない。マルクスは、『資本論』の中で、「科学は、資本家にとってほんの『少しの』費用もかからないものであるが、しかし、このことは、彼が科学を利用することを、決して妨げない。『他人』の科学が、他人の労働と同様に、資本に合体させられるのである。しかし、『資本主義的』所有と『個人的』所有とは、科学のそれにせよ、物質的富のそれにせよ、全然別物である」と書いている。マルクスは「『資本主義的』所有」を批判しているのであって、「『個人的』所有」は認めているのだ。生産手段の国有化や公有化は、遅れた産業や瀕死の企業を救済するための国民経済学的手法、国家資本主義的手法であって、共産主義とは無縁である。
 旧東側陣営の崩壊は、ある程度唯物史観を援用しつつ、一般的に、次のように説明される。ブルジョアジーは封建制度の構造、すなわち身分制度を受け継ぐ支配階級に対抗し、破壊した。革命と言えば、現在では『少女革命ウテナ』を思い起こす時代だが、ブルジョア革命は、革命遂行を通じて、ブルジョアジーが階級的利益を嗅ぎとり、それを手にするために、崇高な理念を掲げたにすぎない。だから、ブルジョアジーは権力を握るやいなや、搾取され、財産を持たず、市民としての権利を奪われた労働者の中から、階級意識に目覚めたプロレタリアートを育てていく。プロレタリアートはブルジョアジーに挑戦し、資本家はブルジョア国家もろとも打倒され、プロレタリアートによる新たな社会構造が到来する。ちなみに、この歴史的過程はマルクスやエンゲルスの独創ではなく、精神および倫理の形成を「労働」に求めたヘーゲルの『精神現象学』の中の「主人と奴隷」の比喩のヴァリエーションである。労働者階級の社会が生産を高めることを課題にすれば、規律を重視し、高度に組織化されたテクノクラートを必要とする官僚主義を招いてしまう。芸術家や文学者も教育を受けた民衆による需要がより求められ、それに応じて育っていくにつれて、自己主張を始め、官僚主義に反対するようになる。そうなると、生産性の向上を狙ったはずが、逆に、技術革新の遅れと労働意欲の低下を招き、西側との国際競争力を失い、国内経済は不安定になる。つまり、支配者は自分たちを打倒する未来の敵を自らの手で育てていかなければ、発展できないという矛盾に陥って、旧東側陣営は崩壊したというわけだ。「唯物論的方法というものは、歴史的研究をするさいに、それが導きの糸としてではなく、史実を具合よく裁断するためのできあいの型として取り扱われると、その反対物に転化する」(エンゲルス『パウル・エルンスト氏への回答』)。
 しかし、青木雄二は、ソヴィエトや東欧諸国の崩壊について、観念論と唯物論の対立・止揚の観点から、次のように述べている。
 僕は、ソビエトや東欧諸国が崩壊したいまでも、共産主義の理想を信じている。人間が平等に公平に自由に暮らせる世の中の到来を待望している。そのために、作品の中で資本主義の矛盾点をオープンにしていくつもりだ。いつかきっと、理想の世の中ができあがる。それくらいの明るい希望がなかったら、生きていけまへんで、ほんまに。いつの日にか、間違いなく資本主義は崩壊して、平等な社会ができあがるやろ。資本主義は矛盾ばっかりや。
(『ゼニの人間学』)
 理想的な共産主義社会を作るには、まず資本主義を達成しなければならない。ところが、ヨシフ・スターリンは、資本主義をとばし、封建主義からいきなり共産主義を打ち立ててソ連を作ってしまった。
(『青木雄二のゼニと資本論』)
 デカルトがいうように「思う」ことがすべての根源であるとしたら、いきなり封建社会から始まった民族がいていいはずやし、資本主義をすっとばしてもいいと「思った」スターリンの共産主義社会は成功しているはずや。
(同)
 青木雄二の共産主義解釈の特徴は「思う」ことと「在る」ことの区別を強調することである。青木雄二は、『ゼニの幸福論』の中で、幸福においても、「思う」ことと「在る」こととは違うと言っている。弁証法や止揚、疎外といった概念が彼の著作に登場することは少ない。観念論と唯物論の対立が青木雄二の共産主義の基本的枠組みである。「思う」ことと「在る」ことの間には差異があり、青木雄二は「思う」ことよりも「在る」ことが先だと認識している。人は自分の思ったこととは違った在り方をしているのだ。「意識が存在を規定するのではなくて、存在が意識を規定する」(マルクス=エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』)。鳥は自分の願いでその姿になったわけではない。「思う」ことと「在る」ことは神の問題において最もはっきりする。青木雄二は神を信じることは認めるが、神の実在は否定する。「僕はいたって寛容な人間だから、人間が神を創造したことの偉大さは充分に認めているつもりである。信仰は自由だから、信じたい人は、どんどん神を信じればいい。僕は、けっして“神”を軽蔑しているわけでも、おとしめたいわけでもない。けっして“神”をバカにしているわけではないのだ」。神を「思う」ことと神が「在る」ことは違い、後者を信じることが問題なのだ。「神に人間がひざまずく、その卑屈さ、自分を支配する人間に対してひざまずく、その卑屈さを生み出すのであります。神を信じ、神によって救われたというのは、実は心のなかに空想を描き、この社会の支配者に騙されたことを意味するのです」(『ゼニの人間学』)。この支配構造を持っているものが観念論なのである。観念論的支配は優越感と劣等感、すなわちルサンチマンを増幅させる。劣等感を克服するために、神を必要とし、それは優越感へとすりかえられる。観念論的支配には、そのため、物象化=偶像崇拝がつきものである。「物象化とは人間的な諸現象をあたかもモノであるかのように理解すること、つまり非人間的な、あるいは、おそらくは超人間的なものとして、理解することである」(P・バーガー=T・ルックマン『日常世界の構成』)。この物象化は日本においても明白に働いている。キャロル・グラックは、『日本の近代神話−明治時代後期におけるイデオロギー』の中で、「天皇制イデオロギー」が民族的な防衛意識・劣等感によって成長したと分析している。そして、それは「失敗した神」(リチャード・クロスマン)となる。資本主義はこのように観念論に支配されている社会であり、共産主義は唯物論に基づいた社会であるから、いわゆる共産主義国家なるものは、その意味で、観念論の支配している世界なのだ。
 唯物論は無神論であり、意識的に選択し、意欲的に保持し続けなければならない思想である。青木雄二が共産主義社会の到来を信じていることは神を信じることとは違う。観念論的に信じることと唯物論的に信じることの間には大きな隔たりがある。唯物論は個人が集団に対してつねに他者になる思想であり、エンゲルスが『空想より科学へ』で指摘している通り、その運動の始まりがユートピアである。共産主義はユートピアを求める。ユートピアなくして、共産主義はない。革命は部分的改変とは違い、切断的な変化である以上、共産主義のユートピアは実践を必要とする。観念論には実践は不要だ。観念論的に信じることは腐敗した現体制を維持することに加担しているのである。
 青木雄二の主張は、確かに、物事を単純化していることは否定できない。けれども、この単純化がアマチュアの意義である。共産主義者はアマチュアだった。決して、テクノクラートではなかった。マルクスは経済学のアマチュアであり、エンゲルスは軍事科学のアマチュアだった。エキスパートはある専門領域何に奉仕=従属する。けれども、青木雄二はたんなるアマチュアではない。多くのアマチュアは自分の経験や直観に従属してしまう。青木雄二は何ものにも束縛されず、自由な存在として、あらゆる領域を横断するアマチュア、世俗的に、一個人として、生きているアマチュアある。カール・マンハイムは、『イデオロギーとユートピア』において、異なる立場・見解を動的に媒介・総合するものとして、自由に浮動する知識人に真理認識の夢を託した。マンハイムはマルクス主義的イデオロギー論を超える普遍的イデオロギー概念、すなわち知識の存在被拘束性を提起しようとしたわけだが、個別的専門化および相対主義的観照という特権を強化するものでしかない。マンハイムはアマチュアの意義を認めず、結局、知識人概念には観念論者も入ってしまう。観念論者は中立を装う。しかし、実際は、宙ぶらりであっても、中立は許されない。中立は、近年の国際赤十字の貴重な活動が示している通り、いかなる政治勢力とも握手を交わすということである。だが、現実の政治には中立以上の要求があるのだ。観念論と唯物論の理論における階級闘争はゾロアスター教的な善と悪の闘争の図式とは異なる。と言うのも、階級闘争は政治的対決だからである。政治的対決の場で中立は不可能であろう。政治権力は正統性の問題である。政治は正統性を獲得し、人々に認知させる闘争の場だ。現実政治には異端の権力は存立しえない。共産主義者は観念論に対して唯物論の立場をとる。観念論的要素は支配的な立場であり、唯物論的要素は被支配的な立場にある。唯物論によれば、すべてが物質である以上、障害など人間においてはたいした違いではない。唯物論は、その意味で、常識的である。「危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である」(芥川龍之介)。われわれは観念論的イデオロギーに包囲されているため、知識は唯物論的概念と観念論的イデオロギーによって成り立っている。青木雄二は「自民党」がクーデターといった非合法的・暴力的手段によってではなく、選挙を通じて多数派になり、政権を獲得したという事実、日本国民が自民党政権を可能にしている事実を認めている。青木雄二は「トロい」日本国民に覚醒を促す。「勤勉は馬鹿の埋め合わせにはならない。勤勉な馬鹿ほど、はた迷惑なものはない」(ホルスト・ガイヤー『馬鹿について』)。この「自民党」の例を見るまでもなく、国家の労働者階級への抑圧は暴力以上に観念論的イデオロギーを通じて行われる。唯物論者の批判をかわすため、観念論的イデオロギーは、機械論的唯物論者は素朴に分離するが、唯物論的要素を含み、純粋に観念論的ではない。フランスのマルクス主義人類学者モーリス・ゴドリエは、『経済における合理性と非合理性』において、親族関係か同時に経済・政治・宗教である現実を解明する史的唯物論を構築し、観念的なものと物質的なものとの結合様式に注意を喚起している。この矛盾を止揚することで観念論は存続しているのだ。「イデオロギーは諸個人の現実的な存在[生活]諸条件にたいするかれらの想像的関係の[についての]《表象》である」(ルイ・アルチュセール『国家とイデオロギー』)。
Some boys kiss me, some boys hug me
I think they're O.K.
If they don't give me proper credit
I just walk away
They can beg and they can plead
But they can't see the light, that's right
'Cause the boy with the cold hard cash
Is always Mister Right, 'cause we are.
Living in a material world
And I am a material girl
You know that we are living in a material world
And I am a material girl
Some boys romance, some boys slow dance
That's all right with me
If they can't raise my interest then I
Have to let them be
Some boys try and some boys lie but
I don't let them play
Only boys who save their pennies
Make my rainy day, 'cause they are
Living in a material world [material]
Living in a material world
Boys may come and boys may go
And that's all right you see
Experience has made me rich
And now they're after me, 'cause everybody's
A material, a material, a material, a material world
Living in a material world [material]
Living in a material world
(Madonna “Material Girl”)
 唯物論者は、観念論的イデオロギーにとりこまれないために、宙ぶらりの状態で、現状に対して批判を繰り広げる存在である。しかし、唯物論者というだけでは、不十分である。「古い唯物論の立脚点は市民社会であり、新しい唯物論の立脚点は人間的社会または社会的人類である」(マルクス『フォイエルバッハに関するテーゼ』)。歴史的変化に基づいて、未来のヴィジョンを示さなければ、観念論に舞い戻ってしまう。観念論は時代遅れの唯物論を巧妙に組みこんでいる。共産主義だけが唯物論的な未来を提示できる。だが、それは観念論者の予言者的なヴィジョンではない。ある歴史状況における階級意識から必然的に導かれるものである。プロレタリアートが自分自身によってのみ自己を規定することはできない。「人間は鏡を持って生まれてくるのではなく、またわれはわれなりというフィヒテ的哲学者として生まれてくるのではないから、人間は、まず、他の人間という鏡に自分を映してみる」(『資本論』)。けれども、プロレタリアートとしての階級意識は、ブルジョアジーの階級意識、すなわち支配者の意識を媒介して、すなわち転倒した虚偽意識という形態で規定されるものではない。支配者階級のブルジョアジーがテーゼであり、弁証法的関係において、被支配者階級のプロレタリアートがアンチテーゼの役割を果たしているというわけではないのだ。ブルジョアジーとプロレタリアートは、階級として、区別されるが、上部構造が下部構造の反映であるとしても、両者は混合し、関連しあっている以上、その識別は困難である。「今のプロレタリアートが何であるか」を規定するのは資本主義体制における歴史的・社会的背景である。プロレタリアートは自分自身ではそれを名乗れない。ある時代では、学歴のないブルーカラーがプロレタリアートであるかもしれないし、別の時代には高学歴のサラリーマンがそうであるかもしれない。むしろ、自分はプロレタリアートではないと思っている者が、まさにプロレタリアートであったりする。さらに、そのプロレタリアートを否定する共同意識を抱き続ける者たちは、恐慌が到来したしても、それを拒否し続ける。プロレタリアートを自覚する意識への拒絶こそが高度資本主義におけるプロレタリアート意識である。「プロレタリアート」は、豊かになった今では、忌まわしい忘れたい名前だ。「プロレタリアート」を過去の遺物にしようとする意識を持つ者たちは、潜在的に、「プロレタリアート」であろう。プロレタリアートは、経済学的には、賃労働をする者である。プロレタリアートの階級闘争は賃労働に対する闘いを意味する。現時点では、階級闘争において、ブルジョアジーが勝利した階級であるとすれば、プロレタリアートは敗北した階級、または受動的な階級である点ははっきりしている。「ぼくは昔から、受動性より能動的な積極性に価値をおくことをおかしいと思っていた。今まで通りに行かぬ新しい局面がやってきたときに、それを否定しないで自分にとり入れることのほうが、よほど新しい自分をつくれるのに、自分で計画した新しいことなんて、せいぜいがその予定をこなすぐらいなもので、自分にとっての新しい意外性は少ない」。「受動性と言ったが、ぼくは受動性を能動性の上位におく。積極的になにかをするという機能ではなくて、存在それ自体が価値であるというのがよい」(森毅『「平凡」な人生だって演出次第で非凡にできる』)。「敗北」は、森毅流に言えば、「ドジ」であり、「ズッコケ」である。「ブルジョアジーに対するプロレタリアートの勝利は、同時に、こんにち諸国民をたがいに敵視させ対立させている国民的、産業的紛争にたいする勝利である。それゆえ、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの勝利は、同時に、あらゆる被圧迫民族の解放のシグナルである」(マルクス『ポーランドについての演説』)。プロレタリアートは勝利を目指すが、最低でも現状維持を狙うから、ブルジョアジーは敗北しない戦術をとる。プロレタリアートは敗北し続けてきた。だが、プロレタリアートは、ブルジョア体制が自己矛盾により、崩壊する以上、勝利することはない。そのとき、プロレタリアートは勝敗とは関係のない階級となる。プロレタリアートはガルゲンフモールを口にする階級である。プロレタリアートは、このガルゲンフモールという点において、公共性を考えている。マルクスがプロレタリアートに革命の担い手を期待したのは、この公共性への意識にある。この意識を持っているものこそがプロレタリアートなのだ。プロレタリアートは敗北を恐れてはならない。「誤りをおかさないのは、何もしないものだけである」(レーニン『戦闘的唯物論の意義について』)。そもそも敗北は「誤り」であっても、屈服ではないのだ。人は敗北によってのみ、敗北の記憶によってのみ、真に連帯できる。ブルジョアジーの間に連帯はない。彼らは、勝利を維持するために、疑心暗鬼になっている。「ときには労働者が勝つこともあるが、ほんの一時的にすぎない。労働者たちの闘争の真の成果はその直接の成功ではなくて、労働者たちのますます広がっていく団結である」(マルクス=エンゲルス『共産党宣言』)。プロレタリアートはポスト・ブルジョアジーである。勝利したという意識を持ったとしたら、そのプロレタリアは反動化するだろう。むしろ、少し「イジケ」る方がいい。「昂然と胸を張るのは、卑怯者の擬態なのだ。彼らは何を恐れているのか。人間本来のイジケ、つまりは彼ら自身の人間性そのものを恐れているのだ」(森毅『イジケの倫理』)。ヘルベルト・マルクーゼは、『理性と革命』において、ヘーゲルの弁証法の中核を否定性にあり、それがいかにマルクスの革命思想につながるものであるかを展開し、その上で、『ソヴィエト・マルクス主義』で、否定性を喪失したソヴィエト・マルクス主義が工業社会化の中で抑圧的な西欧理念にからめとられてしまったのかを指摘した。しかし、ソヴィエト・マルクス主義の反動化は否定性の喪失ではなく、勝利意識に原因がある。否定と敗北は違う。プロレタリアートの階級意識は敗北意識である。階級意識は階級の意識ではなく、階級が導く意識と考えなければならない。存在の表象が意識であるとは限らないのだ。存在と意識の関係は、労働者が選挙で保守反動的な立候補者に投票してしまうように、流動的である。存在が意識へと顕在化する過程で、本来その存在が表象しない意識と結合してしまうことがある。敗北が意識を屈折させるのだ。そのため、階級意識は、正確には、階級無意識である。この階級意識は権力が規定する観念論的概念であるアイデンティティではない。唯物史観に基づけば、国家概念は崩壊する以上、アイデンティティは観念論的支配の道具である。「国家は階級対立を抑制する必要から生じたものであるから、しかし同時にまた、国家はこれら諸階級の衝突の真っただ中に生じたのであるから、通例、それは、もっとも勢力のある、経済的に支配する階級の国家である。この階級はまた、その国家を利用して政治的にも支配的階級となり、このようにして被圧迫階級を抑圧し搾取するための新しい手段を獲得する。(略)かくて、国家は永遠の昔からあるのではない。国家なしで済ませた社会があったし、国家や国家権力を夢にも知らなかった社会があった。一定の経済的発展段階において、すなわち、社会が諸階級に分裂することと必然的に結びついている段階において、この分裂によって国家は一つの必然事となったのである」(エンゲルス『家族・私有財産および国家の起源』)。青木雄二にとって、愛国心とは現体制を維持しようとしたり、国家や国旗を擁護したり、反動化することではない。観念論的な資本主義体制を打破することにある。伝統的な国家とは妥協の余地はない。愛国心なるものは、カシミールを例にとるまでもなく、軍隊的なものの周辺にしか存在しない軍隊官僚の自己保存ために生み出されるものでしかないのだ。上官は、当然、そんなシステム維持のために、責任回避を行い、下っぱはそのあおりを被るだけである。それでも愛国心なるものを信じるとするならば、その存在など軍隊官僚の傀儡にすぎない。「現代の偽善的な政治のあらゆる教条のうちで、『平和を望むがゆえに、戦争の準備をしなければならぬ』という教条ほど、多くの災禍をひきおこしたものはない。大きな嘘をふくんでいるということで、特にきわだっているこの偉大な真理は、全ヨーロッパに武器を取るように呼びかけた鬨の声である」(マルクス『侵攻!』)。国家概念を是認するといったような現状維持を認めたら、唯物論者ではなくなる。
Sexy
Sadie what have you done 
You
made a fool of everyone 
You
made a fool of everyone 
Sexy
Sadie ooh what have you done.
Sexy
Sadie you broke the rules
You
layed it down for all to see
You
layed it down for all to see
Sexy
Sadie oooh you broke the rules.
One
sunny day the world was waiting for a lover 
She came
along to turn on everyone
Sexy
Sadie the greatest of them all.
Sexy
Sadie how did you know 
The
world was waiting just for you
The
world was waiting just for you
Sexy
Sadie oooh how did you know. 
Sexy
Sadie you'll get your yet
However
big you think you are 
However
big you think you are 
Sexy
Sadie ooh you'll get your yet. 
We
gave her everything we owned just to sit at her table
Just
a smile would lighten everything 
Sexy
Sadie she's the latest and the greatest of them all. 
She
made a fool of everyone 
Sexy
Sadie. 
However
big you think you are 
Sexy
Sadie.
(The Beatles “Sexy Sadie")
 共産主義社会は、以上のような史的唯物論に従えば、ポスト資本主義社会である。資本主義社会を経なければ、共産主義社会は到達できない。「共産主義とは、われわれにとって成就されるべき何らかの状態、現実がそれへ向けて形成されるべき何らかの理想ではない。われわれは、現状を止揚する現実の運動を、共産主義と名づけている。その運動の諸条件は、いま現にある前提から生じる」(『ドイツ・イデオロギー』)。封建主義−資本主義−共産主義という図式をスキップすることはできないのだ。一塁走者が二塁を通過しないで、三塁にいくことはできない。もしそんなことをすれば、ランナーはアウトになる。一七七六年にアメリカ合衆国はイギリスから独立して以来、中世に対し、アンビバレントな感情を持ち続けている。封建制を経験していないアメリカが海外に対して干渉するのは、中世の影を見つけるときである。アメリカは中世を憎むが、それと同時に、ケネディー一家をケネディー王朝と呼ぶように、自らの内部に封建制をつくり出そうとしている。また、ラテン・アメリカやアジア、アフリカ諸国など封建制、すなわち中世を経験していなかったために、現代になって、大土地所有制などに代表される封建制を体験し、それに苦しんでいる。青木雄二によれば、ヨシフ・スターリンの共産主義社会建設はこうしたものだった。資本主義が十分に達成された後で、共産主義が登場する。資本主義の極限化が共産主義なのだ。資本主義社会が完全に終わって、共産主義社会が始まるわけではない。両者を素朴に分離することなどできないからである。共産主義と資本主義の関係はマルクスとヘーゲルの関係と考えればよい。マルクスはヘーゲルの後にくるが、マルクスとヘーゲルの区別は、ルイ・アルチュセールは『ドイツ・イデオロギー』執筆のころに「認識論的切断」があったと見るけれども、難しい。マルクスはヘーゲルから多くの遺産を受けとっているからだ。純粋な真のマルクスの哲学なるものは存在しない。ヘーゲルを飛び越えてマルクスに到達することは、思想史上、不可能である。ヘーゲルを十分に読みこなすことなしに、マルクスを理解することはできない。「ヘーゲルの『論理学』を徹底的に学び、理解することなくしては、マルクスの『資本論』を、とりわけその第一章を完全に理解することは不可能だ。したがって、半世紀をすぎてもマルクスを理解したマルクス主義者は一人もいない」(レーニン『哲学ノート』)。ルイ・アルチュセールは、『レーニンと哲学』において、レーニンは、一般のマルクス主義者と違い、ヘーゲルの「絶対的理念」を短絡的に否定しなかったばかりか、そこに「主体のない過程」という概念を見出したと指摘している。主観主義を否定して「絶対精神」を設定したヘーゲルは、逆説的に、主体の不在を示したことになる。マルクスはこのヘーゲルの認識を十分利用している。マルクスはヘーゲル左派の一員として出発した。マルクスは、「かの偉大なる思想家の弟子」と『資本論』第二版の後書で告白しているように、ポスト・ヘーゲル主義者である。彼は、むしろ、生涯に渡ってそうだったと言ってよい。ヘーゲルの観念論は観念論批判の観念論、すなわち反観念論である。しかし、唯物論ではない。マルクスは、他方、唯物論者なのだ。資本主義社会を十分に認識しないで、共産主義社会を理解することはできない。共産主義社会は、最も資本主義的な点において、達成されるのだ。資本主義への忠実さによって資本主義は否定される。それが共産主義社会である。青年ヘーゲル派はヘーゲル哲学の包括的な批判をしないで、ヘーゲルを超えたといい気になっていた。「ヘーゲルに対する彼らの論争および彼ら相互の論争は、それぞれのものがヘーゲル体系の一側面をぬきだして、これらを全体系ならびにほかのものたちがぬきだした諸側面につきつけることに限られている」(『ドイツ・イデオロギー』)。スターリンはまさにこうした姿勢で資本主義を超え、共産主義社会を実現したと思っていた。それこそが資本主義に完全に依存していたのであり、体制の崩壊は必然的だった。西洋哲学はアルケーを求めて始まった。「結果が始まりと同一であるのは、始まりが終わり=目的であるからにほかならない」と『精神現象学』序文の中で書いたヘーゲルの体系にはすべてがあり、哲学はヘーゲルで終わった。同様に、資本主義にはすべてがある。その意味において、資本主義ですべては終わった。しかし、終わりの後に新たな始まりがあるわけではない。「資本主義的」というターム自体が、実は、マルクスの産物である。『共産党宣言』にも、『経済学批判』にもこれは見られない。『資本論』を書いていく過程−−一八六一年から六三年の草稿の段階−−で、このタームをつくりあげたのだ。マルクスの支配的思想に対する批判が「資本主義」という概念を創造した。従って、マルクスの著作で資本主義の前に登場した共産主義は資本主義の終わりのない社会である。
 青木雄二は共産主義社会の到来という未来を語る。資本主義が十分に熟した後に共産主義社会が到来するという未来をエンゲルスは語った。観念論者ヘーゲルが『歴史哲学』の中で未来を語ることを禁止したことを批判するために、唯物論者はそうしなければならない。未来は現在の表象である。観念論者が未来を語らないのは表象を否定するからだ。
 ヘーゲルは、『大論理学』において、表象を次のように否定している。
 ところで思考する理性は、差異的なものの言わば鋭い区別、表象のたんなる多様性を本質的な区別、すなわち対立にまで鋭くする。多様なものは、矛盾という頂点にまで推しやられてはじめて相互にたいして動的で生き生きとしたものとなり、矛盾のうちではじめて自己運動と生動性の内在的脈動である否定性を得るのである。
 思考する理性は表象を内部にとりこめない。表象は自己運動する存在の前にあるものだが、矛盾を自分の内容として持っていても、運動そのものには外的なものにとどまってしまう。表象は、結局、矛盾に支配されてしまうから、思考する理性は表象を否定しなければならない。
 一方、唯物論者は表象を肯定し、未来を語る。「理論的方法にあっても、主体は、社会は、前提としていつでも表象に浮かんでいなければならない」(マルクス『経済学批判序説』)。唯物論には、この表象と未来のために、「持続する笑い」(佐高信)がある。「人間にそなわった想像力は、未来の創造のために使うのが一番だ。人間は未来を想像し、創造していく動物である」(『ゼニの人間学』)。観念論者は未来のために現在を犠牲にしたり、現在のために未来に負担をおしつける。未来は、共産主義的視点、すなわち唯物史観に立てば、ポスト現在である。これが理解できないものはすべて観念論者だと判断してよい。ただし、未来について語る場合、オフサイドをしてはならない。先の保守主義的思考はオフサイドをして得た得点を正当化しているように見える。唯物論者が観念論者をオフサイド・トラップにかけることを、どうやら、保守主義者は忘れてしまうようだ。唯物論者はゲームのルールを利用しないほど「トロい」わけではない。未来を考えるとしても、それはアメリカの「フューチャリスト」の姿勢とは違う。ハーマン・カーンは、『考えられないことを考える』において、「フューチャリスト」の役割を「まだつくられていない歴史に取組む」と定義した。先にあげたダニエル・ベルや『知識社会』のピーター・F・ドラッカー、バックミンスター・フラー、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』のエズラ・F・ヴォーゲル、『第三の波』のアルヴィン・トフラーらが代表的なフューチャリストである。なぜかグラムシを高く評価する「フューチャリスト」は、概して、体制順応的で、計画主義的傾向が強いが、彼らの無責任な放言は六〇年代という楽観的な時代風潮が可能にしたとも言える。「日本に学べ」と言っていたヴォーゲルも、実際、晩年になると日本の将来に危惧を抱く一方、アメリカがこれから新たな黄金時代を迎えるだろうと予測を修正している。『メディアはマッサージである』のマーシャル・マクルーハンも、見方によっては、「フューチャリスト」に含まれるかもしない。しかし、マクルーハンは、彼らとは比較にならないほど、はるかに先見の明を持っていた。マクルーハンによれば、グーテンベルクの印刷機の発明以来、人間は文字のつらなる行を追うことに慣らされ、思考も感覚も「線的」になり、五感の中でも視覚の比重が著しく高くなってしまい、個々人はそれぞれ孤立してしまった。「電気メディア」、特に、テレビの出現はこの事態を変革する。それは感覚のすべてを解放し、地球はグローバル・ヴィレッジ化させ、人々にハッピーな空間を獲得させる。いかがわしく見られていたマクルーハンだったが、六〇年代のカウンター・カルチャーの一つであるヒッピー・カルチャーにアピールしただけでなく、その後に彼らがケーブル・テレビやインターネットといった電子メディアに向かったように、ある意味で、未来を的中させている。「私も、確信を持って未来についてコメントする齢に達した。予測が間違っていたとわかったときは、もうこの世にいないからね」(ジョン・K・ガルブレイス)。この未来は、「人は何を希望しうるか」とカントが『実践理性批判』の中で命題を立てたように、「希望」でなければならないのだ。希望は、本質的に、唯物論的である。希望とは観念論的支配の維持に対する唯物論的抵抗、すなわち人をシニシズムやペシミズムに導こうとする観念論的思考への抵抗の意志だ。いかに幻滅が深かったとしても、シニカルになったり、ペシミスティックになったのでは、観念論の思うつぼである。観念論はペシミズムやシニシズムを蔓延させて、人を互いに敵対させることによって支配する。そして、メフィストフェレスのようにこう言うのだ。「消えただと! それに何の意味がある? 何もなかったと 同じじゃないか。何かがあったような 堂々巡りの空回り。永遠の空のほうがよっぽどましだぜ」。
 資本主義社会は自己矛盾によって崩壊し、共産主義社会に必然的に移行するという未来は、カール・カウツキーの主張するような、宿命的決定論の終末世界ではない。唯物論はそういった思想ではないのだ。エンゲルスの『空想より科学へ』によると、唯物論はイギリスの産物である。そもそも、思想史上、「革命」を最初に是認したのはマルクスではない。経験論者のジョン・ロックである。イギリス的思考は規則の体系であり、大陸的思考は法則の体系である。アイザック・ニュートンは、『プリンキピア』において、規則という形で、われわれは自然現象に、整合的な原因を発見すべきであり、その際、同一の原因に対して、同一の結果が生じると考えるべきだと言っている。唯物論は法則ではなく、規則の理論である。ニュートンの運動の第二法則として知られるF=maは物体に働いている力がつねにその物体の質量と加速度の積になるという経験に基づく規則である。だが、力は質量と加速度との積として定義されるなら、物体に働く力という概念の定義を与えている法則と考えることもできる。こうなると先の式は経験によって反証できなくなってしまう。第一、ニュートンは『プリンキピア』を「質量の定義」から始めているが、質量から密度を定義せず、密度から質量を定義している。ニュートンの前には力のないときには運動しないというガリレオ以来の力学の構図があり、異なった種類の量が乗法として関係づけなければならなかった。力は、その後のライプニッツでは、運動を変化させるものとなる。こうした「闘争」という実践が唯物史観には不可欠なのである。「社会をよくするのは、人間の行動である。闘わずして、血を流さずして、社会は変革できない」(『ゼニの人間学』』)。マルクス主義からこの闘争の哲学を抜いてしまうと、資本主義発達史に堕してしまう。これは観念論にとって便利な図式だ。この発達史に基づき、観念論的支配は生活水準の向上を条件に保身・延命を計ることに対して、青木雄二は「哲学」を重視し、その欺瞞を追及する。
 青木雄二の闘争は、第一には、支配的権力が秘匿しているものを公開させることである。観念論は非公開性を前提にして成立している。青木雄二は日本では貧富の格差が小さいという神話を認めない。日本の豊かさは、発展途上国のように露骨でないだけで、サービス残業や過労死、女性や障害者に対する差別待遇、外国人労働者の不当な扱われ方など数字に出てこない貧しさに支えられている。しかし、これは資本主義の前提なのだ。ボールズ=ギンタスは、『労働価値説の構造と実際』において、労働市場における性および人種、民族差別が資本主義には必要であり、決して付随的な特徴ではないと主張している。雇用契約は不完全であるため、労働者と資本家との利害の衝突は調停不能であるため、労働者が自分たちの共通の利益の獲得を実現する目的で起こす団結行動を資本家が防止せざるを得ないのは、ひとたびそれが巻き起こると、その勢いを抑さえることができないからである。資本家がこの動きを抑制するには労働者を「分裂させ、征服する」ことが最良だ。資本主義には、そのため、労働者間の性、人種、民族差別が不可欠である。資本主義は、自己保存するには、差別−−差別の枠組み−−を絶えず再生産しなければならない。実際、低学歴の若年失業者は、欧米では、極右の温床となっている。彼らの雇用契約が不完全であるという前提は、ハロルド・デムセッツの『財産権の理論に向けて』に負っている。雇用契約は、デムゼッツによると、その契約書に記されているのは労働者にいくら支払われ、どれだけの時間働くべきかということであって、仕事の際に努力した速度や集中度は明記されていない。その意味で、それは「不完全」である。労働者は失業という「鞭」に脅かされたり、昇進という「アメ」につられているかもしれないが、それらは労働者の作業能力を絶えずモニター・チェックする場合にのみ有効である。財産権は取引コスト−−経済取引において一市場を組織する費用−−に依存するし、取引コストは市場の情報取得コストに依存するから、財産権理論と情報コスト理論の接点を最もよく示すのが労働市場の雇用契約なのだ。従って、雇用関係は、本質的には、「情報の問題」である。青木雄二は唯物論者として社会の裏側、すなわち観念論者が隠しているものを顕在化する。何度も職を変え、マンガ家すらもあっさりと引退してしまった青木雄二は開拓者ロビンソン・クルーソー的と言うよりも、むしろ、旅行者マルコ・ポーロ的である。開拓者はその土地を植民地化する。「人間が住みやすい世の中をつくるために、僕はゼニの大好きな政治家や政府の役人たちに反抗しつづけるつもりである。漫画家である僕の反抗は、世の中の隠された汚い部分をオープンにしていくことだ」。青木雄二は、日本以上に公開性が進んでいるという点で、アメリカに好意的である。「僕は、健全で平等な競争が約束されているアメリカの資本主義は好きなのだ」(『ゼニの人間学』)。観念論支配下の民衆が行動に移るためには、情報が必要だ。「悪魔は昔天国に住んでいた。悪魔に会ったことのない人々は、天使を見ても、それが天使だとわからないのである」(『失敗した神』)。二〇世紀初頭アメリカでは社会の裏や悪を暴露するジャーナリストが活躍した。彼らは「マックレーカー」と呼ばれ、急速に発達した安価で大量に販売された大衆雑誌を舞台にして、政治の腐敗、大企業の横暴、児童労働、スラムの生活、売春、人種問題など多岐に渡る主題を書きまくった。マックレーカーは肥やし熊手のことであり、セオドア・ローズヴェルトが、ある演説で、彼らを肥やし熊手で汚物を掻き集めていると非難したことに由来する。その代表であるアプトン・シンクレアは、一九〇六年に、『ジャングル』を発表し、シカゴの食肉工場でのリトアニア系移民労働者の悲惨な生活と工場内の不潔な労働条件を描いて人々に衝撃を与えた。これを読んだ当のローズヴェルトでさえも、ショックを受け、早速実地調査を命じ、食肉検査法が制定された。また、エンゲルスも『イギリスにおける労働者階級の状態』を書いて、当時のイギリスの労働者階級の置かれている現状を暴露している。公開性が弱い社会では暴露が代役を果たすとしても、多くの暴露屋の場合、暴露それ自体が目的であったり、社会の悪を非難することにのみとどまっている。原因を説明できていないのだ。共産主義者の暴露は原因解明である。「これを説明するためには、資本主義的生産方法を一方でその歴史的関連において示し、一定の歴史的時期におけるその必然性を、したがってまた、その没落の必然性を示すことが必要だった。さらにまた、他方でどこまでもかくされている正体、内部の性質をあばき出すことが必要だった。このことは剰余価値(Mehrwert)の暴露によって成しとげられた」(『空想より科学へ』)。
 青木雄二は選挙を重視し、その際、日本共産党への投票を認めているが、党員ではないし、党の方針が彼の共産主義と同一であるとも言っていない。また青木雄二は組合運動を重視する。しかし、サンディカリズムには否定的ではないが、肯定的とも見えない。労働組合は政党に従属するべきではないというサンディカリズムは熟練労働者を中心にした労働運動といった点もあって、職人肌的な傾向がある。議会主義的な政治操作への反発と労働者自身による自立的行動の強調という特徴を持つ革命的サンディカリズム−−特に、F・ペルーチエ−−の立場では、社会革命は政治権力奪取を掲げる政党の指導によってではなく、労働者自身による生産現場における直接行動を通じて、達成される。議会活動を通じた政党主義的な労働運動は、議会による立法措置との取引により、帝国主義的・ナショナリスティックな社会統合あるいは労働運動の政治的系列化が進ませる役割を果たしたというわけだ。しかし、こうした性急さは、インティファーダを別にすれば、反革命を招きかねない。革命的サンディカリズムの出身だったベニト・ムッソリーニは職業上の団体に基づいて社会的安定や階級協力を目指す協同体主義がファシズム体制の基盤であると考えている。青木雄二の共産主義観に従えば、組合運動は労働者の政治的行動の一つであっても、すべてではない。エンゲルスは、晩年、議会活動を重視するようになった。第二ヴァイオリンは、第一ヴァイオリンの論文を編集した『フランスにおける階級闘争』の序文の中で、自覚した少数者がまず政権を獲得して多数者のための政治を実行するのではなく、多数者があらかじめ革命の事業を支持する状態をつくりあげてこそ、真の革命を達成できると書いている。党の役割は労働者階級を指導するのではない。労働者階級の自然成長的な運動をフォローすることである。そのため、共産主義者が議会活動を重視していないかに見えるのは、選挙権のない労働者階級への配慮があるからだ。経済活動の一端を支えている外国人労働者には選挙権は認められていない。将軍は、票が増えても、議席が獲得できない場合でも、「議席よりも得票が大事だ」と同志を激励した。二十世紀においては、すべてが商品化されてしまうために、神は死を迎えるのではなく、死ぬに死ねない状態に陥ってしまう。国民国家も、宗教も、死ぬに死ねない状態になるため、議会外での政治活動が主流になる。議会も、官僚組織と同様、相対化させなければならない。青木雄二は選挙権にしても、自己破産にしても、獲得した権利は使うべきだと考える。それこそが現体制への一つの反抗だからである。「政治に、哲学が規定したような個人の『諸権利』の回復を求めてはならない。個人は、権力の産物である。必要とされているのは、増殖と移動、様々な組み合わせによって『非個人化する』ことである。権力に夢中になってはいけない」(ミシェル・フーコー『監獄の誕生』)。しかし、政治権力は正統性への意志であり、政治を批判するには権利を浪費し、権力の正統性を姉妹にさせる方が有効である。共産主義は労働者階級という認識を持つがゆえに、「個人」でありつつ、「非個人」でもあるという姿勢を提起し、権力の価値を暴落させる戦略をとる。権力は、政治が存在する以上、不可欠である。権力が権威へと転化してしまうことが問題なのだ。拒否すべきなのは権威であって、権力ではない。権威を批判するために、権力を目指すことも必要である。権威は「政治」だけでなく、あらゆる領域で見られる。「権力に夢中になってはいけない」。権威を求め、権威に依存する正統性への意志を自分自身から一掃することこそ望ましい。共産党は国民国家的政党ではない。そのパロディの党である。投票率は政治に対する不信感に反比例する。投票の棄権、すなわち選挙のボイコットが抵抗運動である場合もあるが、それは、ある種の社会的・歴史的背景において、初めて、意味をなす。組織票とシニカルな惰性が支配的な日本では、投票の棄権は権力への抵抗どころか、残念ながら、加担してしまう。棄権は厚顔無恥な連中に白紙委任状を渡したことになってしまうのだ。言うまでもなく、議会制民主主義は国民国家の枠組みの中にある以上、克服されなければならない。確かに、議会制民主主義とは別の民主主義体制──裁判制民主主義──が登場するだろうが、無理にそれを飛び越えてはならない。だいたい選挙も税金で行われるのだ。Up, workers!
One,
two, three, four, one, two 
Let
me tell you how it will be
There's
one for you, nineteen for me 
'Cos
I'm the
Taxman, yeah I'm the Taxman
Should
five percent appear too small
Be
thankful I don't take it all 
'Cos
I'm the
Taxman, yeah I'm the Taxman
If
you drive a car
I'll
tax the street 
If
you try to sit 
I'll
tax your seat
If
you get too cold 
I'll
tax the heat 
If
you take a walk
I'll
tax your feet
Taxman
'Cos
I'm the Taxman 
Yeah I'm
the Taxman 
Don't
ask me what I want it for (Ha ha Mister Wilson) 
If
you don't want to pay some more (Ha ha Mister Wilson)
'Cos
I'm the Taxman, yeah I'm the Taxman
Now
my advice for those who die (Taxman)
Declare
the pennies on your eyes (Taxman) 
'Cos
I'm the Taxman, yeah I'm the Taxman
And
you're working
For
no one but me (Taxman)
(The Beatles “Taxman")
 一部のマルクス主義哲学者は「労働者階級」をその哲学体系から抜くことに躍起になっていた。労働者階級の解放といったテーゼを掲げかった新左翼はその代表である。労働者階級など、フロイトの「ヒステリー患者」同様、現在では消滅してしまったのではないか、もしいたとしても少数だろう、マルクス主義の再構築の際、こうした十九世紀的な時代制約を残していては、どうしても邪魔になるというわけだ。労働者階級という暗い底辺、ディオニュソス的なるものを無視すれば、アポロ的なるものだけの完成度の高い哲学体系を構築することができる。けれども、「労働者階級」を抜いてしまっては、マルクスの哲学はヘーゲル主義に舞い戻ってしまう。青木雄二は「労働者階級」からマルクスの哲学を読む。彼は、「労働者階級」に関する視点があるがゆえに、古典的なマルクス=レーニン主義を支持するのだ。これが彼の共産主義が古典的でありながら、「あんなにすごいなんて!」と思わせられる原因である。青木雄二の認識は、アカデミズムの住人とは違い、単純な代わりに、生き生きとして、しなやか、おおらかである。労働者階級は。青木雄二によれば、依然として存在する。確かに、現在のサラリーマンには自分が労働者階級という意識はない。しかし、「思う」ことではなく、「在る」ことこそが重要なのだ。サラリーマンは、青木雄二の『ゼニと世直し』によると、「賃金労働者」である。自分たちが「自民党」権力によって「労働者階級」ではないと思いこまされていることに気がつかなければならない。高齢者や障害者の生活を知るとき、貧富の差が小さいという神話は簡単に崩壊するが、サラリーマンたちはそれに無知である。モスクワ路線を堅守したイギリスのマルクス主義経済学者モーリス・H・ドッブは、『資本主義発展の研究』において、西欧における封建主義から資本主義への以降の過程で、賃金労働者という無産階級の出現を強調している。彼はマルクス主義理論の解釈およびソヴィエト経済や資本主義に対する歴史的研究だけでなく、正統派経済学への鋭い批判、第三世界諸国の発展計画分析という点においても、世界的な影響力を持っていた。ドッブは、第二次世界大戦以前では、ポール・バランとならんで、英米の大学で教授に就いた数少ないマルクス主義経済学者だった。ただし彼の弟子はマーシャル主義者がほとんどである。サラリーマンは、資本主義の発展の中では、自分たちがどう思おうと、「無産階級」でしかない。共産主義者が表象するのは労働者階級とその希望である。それには、国籍を問わず、失業者、無業者、差別や諸事情によって就業できない人たちが含まれる。「共産主義者は、他のプロレタリア党から、次のことによって区別されるにすぎない。すなわち、一方では、共産主義は、プロレタリアの種々な国民的闘争において、国籍とは無関係な、共通の、プロレタリア階級全体の利益を強調し、それを貫徹する。他方では、共産主義者は、プロレタリア階級とブルジョア階級の間の闘争が経過する種々の発展段階において、つねに運動全体の利益を代表する」(『共産党宣言』)。共産主義は民族的メシア主義ではない。民族という概念は、近代国家概念の整合性のために、発明されたものにすぎない。「私はコスモポリタンだ。だから、私は、自分がどこにいても、その場所で活躍する」(マルクス)。共産主義はインターナショナリズムである。労働者階級とその希望に焦点をあわせるならば、いかなる運動も共産主義に接近せざるを得ない。ラテン・アメリカのカトリック教会は、従来、新大陸の植民地化を推進し、秩序維持に節化する保守的・右翼的支配権力だったが、各地でわき起こる解放闘争を受けとめ、民衆の悲惨な現実に真剣に対応する「解放の神学」派が登場した。ペルーのグスタボ・グティエレスは、一九七二年、『解放の神学』を発表し、ラテン・アメリカの解放闘争をカトリック神学の範囲に位置づけ、マルクス主義や従属理論との連帯を提唱したのだ。「機械の改良も、科学の生産への応用も、通信の新機軸も、新しい植民地も、移民も、市場の開拓も、自由貿易も、そしてこれら全部合わせてみても、勤労民衆のみじめさを終わらせることができない。(略)したがって、政治権力の奪取こそが、労働者階級の偉大な義務となるのだ」(マルクス『労働者階級への挨拶』)。
 要するに、現代日本において、共産主義者であることが表象するのは労働者階級の唯物論的な希望であり、青木雄二は自身の希望を次のように述べている。
 底辺の人間の中には、社会の矛盾を敏感な感受性で感じとる人間もいる。おのれの辛酸と苦汁を、他人の痛みを感じるというプラスに転換させる人間もいる。
 人間としてひとつの理想の姿やと思う。
 そういう人間こそ、政治家になって日本を動かしてもらいたい。そうならないかぎり、社会は変わらない。
(『ゼニの人間学』)
 人間が最終的に求めるものは、自由、平等、平和だろう。そこに行き着くために、人間は、自分が存在している社会に否定的なものを否定して、少しずつ社会を変えてきた。そして今、熟しきって腐りかけている日本の資本主義の否定的なものを、国民はわずかではあるが否定してきている。
 もちろん、共産主義社会を作ろうなんて考えてないと思う。けど、自由、平等、平和を求めて資本主義の悪い部分を否定していくと、その先にあるのは共産主義なんや。だから僕は、一〇〇年かかるのか、二〇〇年かかるのかわからないけれど、日本はいずれ必然的に共産主義に移行していくといい続けているのや。
(『ゼニと資本論』)
 マルクスはあまり未来の予想図を描かなかったが、『ゴータ綱領批判』は数少ない例外である。これが青木雄二の資本主義社会から共産主義社会への必然的移行のヴィジョンの論拠となっている。マルクスは、『ゴータ綱領批判』において、共産主義社会を第一段階と高い段階とにわけている。第一段階を生まれたばかりの共産主義社会と呼び、そこには「旧社会の母斑」が見られ、個々の生産者は社会に提供したものと同じだけの生産物を受けとるとしている。共産主義社会のより高次な段階では、諸個人は分業に奴隷的に従属することがなくなり、精神的労働と肉体的労働の対立も解消する。諸個人の全面的発展とともに、生産力は増大し、協同的な富が「すべての泉から溢れるばかりに湧き出るように」なり、「各人はその能力に応じて、各人はその必要に応じて」という社会的原則が実現される。それがいつなのかをマルクスは明らかにしてはいない。ただ「未来は長く続く」(ルイ・アルチュセール)ということが伝わってくるだけだ。マルクスに影響されたJ・A・シュンペーターは、『資本主義・社会主義・民主主義』の中で、「一世紀といえども『短期』である」と書いたが、こうした認識を持たないものが、この長さに耐えきれず、共産主義から転向してしまう。しかし、それはあまりにも絶望が足りなすぎる。「持続に笑いは欠かせない」(佐高信)。
 幼虫・蛹・成虫への変態に類似しているマルクスの資本主義社会から社会主義社会を経由して共産主義社会へと至る過程は、これまで真に理解されてきたとは言いがたい。資本主義は欲望を肯定したが、マルクスは、資本主義が進むと、欲望が飽和状態を迎え、必要に基づく社会が誕生すると説く。欲望は、高度資本主義社会では、経済発展の推進力とはなりえなくなり、欲望は必要によって克服される。階級のない社会はたんに現実的に階級が存在しないだけでなく、心理的にも階級がないことなのだ。階級は人間に屈折や倒錯といった病的な精神状態をもたらす。資本主義社会では、階級によって割り振られてしまうので、能力がありながらそれを発揮できる場がなかったり、能力が不十分であるにもかかわらず、持っている力以上のことをしなければならない立場に置かれてしまっている。そのため、人々の精神は屈折したり、倒錯したりしてしまうのだ。資本主義社会は個々の能力の差異を見極めることのできない社会である。一方、共産主義社会では、階級がないので自分自身の能力に適している仕事につけるから、人々は健康的な精神状態でいられる。「各人はその能力に応じて、各人はその必要に応じて」は禁欲や耐久ではなく、健康なる精神の獲得を意味する。資本主義は病気への意志、共産主義は健康への意志である。
 二人の批評家がある「時代閉塞」において「必要」を次のように説いている。
 かくて我々の今後の方針は、以上の三次の経験によってほぼ限定されているのである。すなわち、我々の理想はもはや「善」や「美」に対する空想であるわけはない。一切の空想を峻拒して、そこに残るただ一つの真実−−「必要」! これ実に我々が未来に向って求むべき一切である。我々は今最も厳密に、大胆に、自由に「今日」を研究して、そこに我々自身にとっての「明日」の必要を発見しなければならぬ。必要は最も確実なる理想である。
(石川啄木『時代閉塞の現状』)
 ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」のみ。そうして、この「やむべからざる実質」がもとめたところの独自の形態が、美を生むのだ。実質からの要求をはずれ、美的とか詩的という立場に立って一本の柱を立てても、それは、もう、たあいもない細工物になってしまう。
 見たまえ、空には飛行機がとび海には鋼鉄が走り、高架線を電車が轟々と駆けて行く。我々の生活が健康であるかぎり、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。我々の伝統も健康だ。必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生まれる。そこに真実の生活があるからだ。そうして、真に生活するかぎり、猿真似を羞ることはないのである。それが真実の生活であるかぎり、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。
(坂口安吾『日本文化私観』)
 啄木が『時代閉塞の現状』を執筆したのは朝鮮半島を日本の統治下にした一九一〇年であり、安吾が『日本文化私観』を発表したのは戦時中の一九四二年である。どちらも拡大する欲望の時代だった。欲望は拡大するが、かのスローガンが示しているように、屈折や倒錯に基づいているので、それはいつも満たされることはない。あのような帝国主義的拡大政策には「必要」を考えず、「実質からの要求」をはずれ、「生活」がなかった。むしろ、「最も確実なる理想」である「必要」を掘りさげ、「『明日』の必要を発見」するという健康的な精神を持たなければならなかったのだ。けれども、この拡大する欲望を原動力にしている資本主義は、こうした自己矛盾を繰り返しているうちに、十分に「病者の光学」(ニーチェ)を獲得し、「『明日』の必要」という共産主義を「発見」してしまう。「人間の歴史には、応報というべきものがある。この応報の武器が被害者によってではなく、加害者自身によって鍛えあげられるのが、歴史的応報の法則である」(マルクス『インドの反乱』)。つまり、「『やむべからざる実質』がもとめたところの独自の形態」こそが共産主義社会にほかならない。
 日本では、変革はいつもハイアラーキーの上から下へとなされた。共産主義者にとって革命は下から上に行われる。青木雄二は労働運動や組合活動、アカデミズムから共産主義を理解したのではなかった。それを独学で習得した青木雄二の主張は社会の底辺から発せられている。江本孟紀が「ベンチがアホやから野球がでけへん」という名言を残している通り、労働者はまさにそう思っている。青木雄二の希望は労働者階級の未来である。青木雄二の著述方法は、「希望」のマルクス主義者エルンスト・ブロッホの手法のように、「先取りする意識」としての未来から光をあてることによって浮かびあがってくる現在の分析の試みである。彼が社会の裏を暴露するのは一般の人なら瑣末なことと無視するか軽視する諸現象が共産主義社会移行への手がかりになっているからだ。希望を語る青木雄二の姿は非常に楽観的だ。アランは、『幸福論』の中で、ペシミズムは「気分」の問題であり、オプティミズムは「意志」の問題であると指摘している。観念論は、その意味で、気分の思想であり、唯物論は意志の思想である。保守反動派は悲観的であり、Esperanto という言語名に埋めこまれた言葉esperoも「希望」を意味しているように、インターナショナリストは楽観的である。青木雄二は日本におけるいっさいの観念論的な解決に絶望して、共産主義という希望をつかんだ。観念論者は絶望していない。せいぜい失望しているだけだ。「美しい書物は一種の外国語で書かれている。一つ一つの単語にわれわれ一人一人が自分自身の意味を込め、あるいは少なくともしばしば語儀に反するような自分のイメージを込めている。しかし、美しい書物の中では、人々がつくり出すすべての誤読がすばらしいのである」(マルセル・プルースト『サント・ブーヴ批判』)。
 そんな青木雄二の著作が読まれているのは、不景気という時代と無縁ではないだろう。「金持ちになろう、さもなければ、金持ちらしく見せよう」(ドニ・ディドロ『一七六七年のサロン』)。こんな雰囲気の時代が終わった中、青木雄二は貧しさの本質を示す。彼は豊かさを語ることはしない。醜悪な色彩の商業主義と安っぽい物語表現が二〇世紀だ。モダニズムのミース・ファン・デル・ローエは「少ないことは豊かだ」と言ったのに対して、『ラスベガラスから学ぶこと』を著したロバート・ベンチューリは「少ないことは退屈だ」と批判している。今日、物質的であれ、精神的であれ、豊かさを語るのは宗教者と詐欺師くらいである。われわれは豊かさによって癒されることのない貧しさを体験している。豊かさは民衆に対する観念論的支配者の疑似餌だ。豊かさからの疎外が貧しさではない。貧しさこそが普遍的なのだ。青木雄二は、普遍的な貧しさの表象のために、教条的な共産主義者たらんとする。しかし、それは貧しきものは幸せであるという意味ではない。貧しさへの恐れ、あるいは豊かさにとりつかれることによって貧しさに陥ることを避け、貧しさを選択する。共産主義的闘争は貧しさからの逃走、豊かさへの到達ではないとしても、貧しさへの安住ではない。敗北という階級意識の顕在化である。貧しいものを貧しいと肯定することが必要なのだ。現代日本で教条的な共産主義者が表象するのはこうした正しいデカダンスの未来である。
 最後に、共産主義者はどこにいても、すべての国の民主主義諸政党の結合と強調に努力する。
 共産主義者は、自分の見解や意図を秘密にすることを軽蔑する。共産主義者は、これまでのいっさいの社会秩序を強力的に転倒することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。支配者階級よ、共産主義革命の前におののくがいい。プロレタリアは、革命において鎖のほか失うべきものを持たない。
 万国のプロレタリア団結せよ!
(『共産党宣言』)
〈了〉